『傑力珍怪』が、なぜ始まったか。その3

さて、その3です。
本当は月曜が僕のローテーションなんですが、明日からちょっと留守しますので、今日更新。

美学校9期生の作品に参加してから数年。『人喰山』をアップリンクファクトリーでお披露目上映した2008年夏頃から、僕は腰痛で寝込む事になりました。
座り机でないと仕事ができないタイプなんで、学生時代から20数年胡座をかいてたんですけど、とうとう腰に来てしまったのです。整体に行って、腰が治りかけたら今度は股関節が痛み始めて歩けなくなりました。
先生曰く、「胡座のかきすぎで、腿の筋肉が伸びている」との事。
関節の問題ではなく筋肉痛らしいのですが、とにかく歩けない。
結局、夏から冬までほとんど寝たきり。
なんとか『人喰山』を本格的に公開しなければと思いながらも、なんともならずつらい日々を過ごしていたのでした。といっても、バイトしないとご飯が食べられませんから、ビッコひきながらバイトは頑張ってたのです。

そういえば、腰痛の本格的発病は八王子市夢美術館に「http://add-system.co.jp/tatsunoko/top.html」を見に行った日でした。『決断』の設定画が素晴らしかったです。

そんなある日、バイト先(某ファミレス)に新しいウェイトレスの女の子が入って来ました。
その女の子と休憩時間に話してると「にいやさん、映画やってるんですか、私も好きなんですよ、8ミリとか」なんて言い出すじゃありませんか。
「映画好きなの」「はい」「どこか学校でも行ってたの」「映画美学校に」「なに! じゃあ先生は大工原さんか?」「ええ〜っ、なんで大工原さんを知ってるんですか?」
僕は以前から「この娘にはどこかであった事がある……」と思ってたのですが。なんと、彼女こそ僕が先生役で出演した作品の制作部だったのです。
それがこのブログを立ち上げた張本人、左側に写真がありますが、近藤ちぇんさん。
なんで「ちぇん」と言うかというと、笑い顔がジャッキー・チェンに似てるからなのでした。会った事あると思ってたんだよなあ〜。

で、それ以来彼女に時代劇のビデオを貸してあげたり、僕が作った作品のDVDを見せたりしてるうちに「にいやさん、私の同期生が映画を作ったんですけど、見てもらえますか」という展開に。
ちょうど年末でした。
「良いよ、いつ来る」「新年の二日に」、で、年が明けました。
年末年始もファミレスのバイトは休みはありません。元旦に働いて、疲れてかえって来て「明日は近藤さん達が来るから、ちょっと掃除しなきゃな……」と思ってるところに「にいやさ〜ん、来ました〜」「ええ〜〜、明日じゃなかったけ」「私、一月一日って言ったと思うけど……」
とまあ、その時一緒に来たのが間野君。「俺、元旦に行くってのはおかしいと思ってたんだけど……」これが間野君の声を聞いた最初。
とりあえず二人を部屋に上げて、さて困った。
二日なら、ちょっとお店も開いてるだろうから鍋物でもと思ってたんですが、さすがに元旦はコンビニしか開いてません。そういう時は湯豆腐。
湯豆腐 - Wikipedia
関東では鶏肉や白菜などを少量入れるらしいですが、僕は関西の生まれなので鍋の中は昆布と豆腐のみ。醤油と鰹節とすりゴマと葱のみで食べるのです。これが美味い。
そう言えば、ちぇんさんは池波正太郎のファンですね。湯豆腐はぴったりです。
と言う事で、湯豆腐食いながら間野君の『地獄に堕ちたシェイクスピア』を見せてもらいました。
この作品、普通の映画的な作りじゃないけど、僕はとても面白かったのです。
で、こちらも手持ちの作品やら、テレビ録画の変な映画やらを見せてると「今度は他の友人を連れて来ていいですか」という展開に。
さて、それから毎週のように大畑君やら伊藤君やら、『傑力』で時々司会してた玉川君やら、比木君やら、9期生の連中が来るわ来るわ。
そこで僕は毎回水炊き、すき焼き、キムチ鍋、カレー、スパゲッティなどなど飯を作りつつ、手持ちの『みなしごハッチ』やら『009』やら『快傑ズバット』やら、海外のアートアニメやら、『必殺からくり人』やらNHKの人形劇やらのビデオを見せまくったのです。
以来春先まで四ヶ月、にいや家は珍品ビデオ上映&宴会場になってしまたのです。いや、飲んだ食った、太った太った。

↑変な人がいますねえ……。

「一年の計は元旦にあり」と言いますけど。まさかそれ以来飲み会と上映会の日々になるとは……。

以下、来週。